このサイトの管理人で、一級建築士のふぐたくまおと申します。
ここでは、 フグの帽子を被った怪しいクマ である、ぼくの生い立ちから建築に出会い、現在に至るまでのストーリーを語っていきたいと思います。
サイトコンセプトや一級建築士に合格するまでの道のりはこちらで紹介しております↓
かなり詳しく書いたので、興味のある方は読んでやってください。
- 出身 関東の方
- 年齢 30代
- 保有資格 一級建築士、二級建築士、簿記3級、FP3級
- 性格 めんどくさがり屋、超絶意識低い系、能天気、そのわりにヘタレ
- 家族 妻とふたり
- 職歴 設計職として、ハウスメーカー勤務
↓
市役所勤務
↓
市役所の会計年度任用職員として勤務(←今ココ)
特に不自由なく大学まで通わせてもらい、浪人までさせてもらいました。
当時は何とも思いませんでしたが、恵まれていたと思います。両親には本当に感謝しています。
ぼくは子どもの頃、勉強、運動、コミュニケーション能力等いたって普通でした。
何をもって「普通」っていうのかは、難しいですが、周りと比べて飛びぬけて何か出来た経験もなければ、飛びぬけて落ちこぼれた経験もありません。
漫画の世界なら確実にモブキャラです。これって、自分を語る上でデメリットにしかならないんですよね。
色々なブログを読んでいると、様々なコンプレックスや劣等感をもったエピソードがあったりして、「うらやましいな、俺も何か濃いエピソード欲しいなー」などという訳のわからない嫉妬までするくらいです。笑
昔、中学の頃だったと思うんですが、休み時間に何人かで話していた時、お互いのイメージカラーを言い合おうみたいな時があったんですね。
皆で、赤だ青だ言って盛り上がっていていた時に、その中の一人の女子(しかも好きな子)から、

んーふぐた君は、無色透明って感じ?
と、言われました。これわかってもらえますかね。地味にめちゃくちゃ凹んだんですよ。
「それって『お前の印象は特に無いよ』ってことじゃん・・・」と。
それくらい地味な少年時代だったということです。笑
目次
小学校時代
もう30過ぎのおっさんなので、正直あまり記憶にありません。笑
が、食べ物の好き嫌いが激しく、給食をロクに食べられなかったことは、よく覚えています。
なので、チビでケンカも弱かったです。
当時の先生は、「給食は、残すな!必ず全部食べろ!」って先生が多かったので、5時間目になっても一人給食が机にありながら、授業を受けていたことも多々ありました。
あの時の惨めな気持ちは、今でも覚えてますね。
中学校時代
徐々に大人になってきて、この頃には好き嫌いは、ほぼ撲滅していました。
むしろ食べ盛りでよく飯を食いまくっていました。
前述のとおり、好きな子に告白することもなく、ひっそりとフラれたりもしていました。笑
段々勉強が難しくなってきて、勉強が嫌いになってきた時期でもあります。
高校時代
部活動に明け暮れていましたが、3年生になると、進路を決めなくてはいけません。
「大学受験」のことを考えなくては、いけなくなってくるのです。
中学からすっかり勉強嫌いになっていましたが、受験をするには文系か理系か、選ばなくてはなりません。
その時ぼくは、世間知らずで意識低い系のあほだったので、

大学行きたいけど、受験勉強めんどくせーなー
就職?もっと嫌だわ・・・
くらいにしか、思っていませんでした。

まず大学に行ける選択肢があることを感謝しろよ、と当時の自分に言いたいですね
文系に進むか、理系に進むか、この先の人生が決まる大事な決断です。
慎重に選びたいところですが、文系は暗記科目が多くていやだから、というしょうもない理由で理系に進みます。
この選択が正しかったかどうかは、正直今でもよくわかっていません。笑
浪人時代
しょうもない理由で理系に進むと決めたもんだから、当然高3の受験勉強は身が入らず、無事、浪人すること相成りました。あの時、こんなあほのために、浪人を許してくれた両親には本当感謝です。
ここで、ぼくの人生の転機が訪れます。
ある日、夕飯を食べながら何気なくあるテレビ番組を見ていた時のことです。そのテレビ番組とは、
「大改造!!劇的ビフォーアフター」です。
ご存じの方も多いと思いますが、この番組は、とんでもなく古い家や、狭い家を、「匠」と呼ばれるプロの建築家があらゆる知識と経験を駆使し、見違えるほどリフォームしちゃうという番組です。
当時、ぼくの目には、この匠がめちゃくちゃ眩しく見えました。完成した家を見て依頼人が、泣いて喜んでいました。

かっこいい!ぼくも人に感謝される建築家になりたい!!
そう思ったぼくは、とりあえず次の日から物理の勉強に励みました。
大学時代
あまり成績の良くなかったぼくですが、何とか建築学科のある某私大に進学したぼくは、いわゆるキャンパスライフを謳歌していました。
浪人時代の建築家への熱い思いは、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいました。
服や髪形にこだわるようになり、バイト、サークルに明け暮れ、酒・たばこを覚えたのもこの頃です。大学生ならよくあることだと思いますけど。
楽しかった大学生活も後半へ差し掛かると、避けては通れぬ、あのイベントが発生します。
そう、就職活動です。
さすがに、自分の将来に係わることなので、ここは嫌でも取り組まざるを得ませんでした。
何より、浪人までさせてもらった手前、フリーターになるという選択は、いくらあほのぼくでも流石にできませんでした。
しかし、最終的には、

大手ゼネコンは、残業と転職が多そうで嫌だし、アトリエ系設計事務所は安月給だと聞くし、公務員は試験勉強が大変そうだし、うーん・・・

とりあえず、そこそこの規模のハウスメーカーでいいか・・・
またしても、意識低い系の威力を発揮し、しょうもない理由で大事な決断をしてしまいます。
大学受験の時から、何も反省をしていないことが、分かりますね。
会社員時代

ここで、地獄の日々が訪れます。
残業が少ないと勝手に思っていたハウスメーカー。そこには、定時という概念が全くない世界がひろがっていました。
当時は無知でしたが、建築業界なんて、ゼネコンだろうが、住宅メーカーだろうが、設計事務所だろうが、残業・休日出勤のオンパレードですよ。

就職活動の時に、ちょっと調べればわかることだったんですけどね・・
今でも、初出勤日のことをよく覚えています。定時は18時だったのですが、19時になっても、20時になっても、誰も仕事を終えて帰ろうとしません。
初出勤のぼくは、仕事なんてあるわけないので、ただずっと座っていました。やることないのに座っているなんて、ただただ地獄です。
20時半を過ぎ、21時手前くらいになったあたりで、「新人君は、初日だからもう帰ってもいいよ。」と、言われました。しかし、他の人は一向に帰ろうとしません。思わず、

え!?まだ帰らないの!?何時だと思ってんの!?
と言いそうになりましたが、新卒のペーペーは口が裂けてもそんなこといえませんでした。もやもやした気持ちのまま、初日の職場を後にしました。
全然関係ないですけど、ケツメイシの「家に帰ろう」を聴きながら帰りました。ケツメイシ大好きなんで、すいません。笑
入社して2~3年もすれば、土日の出勤や毎日22時ごろまで仕事をすることも慣れてきて、そのうち疑問にすら感じなくなってきます。怖いですね、こうやって社畜が、育っていくのでしょう。
この会社員時代に一級建築士に合格するわけですが、このエピソードについて、詳しくはこちらで紹介しておりますので、是非ご覧ください。
転職のきっかけ

ぼくは、この後転職することになるのですが、その経緯をお話します。一級建築士の試験が終わり、合格発表を控えた日のことです。
転職を決意することになった、ある事件がおこりました。
ぼくが、担当していた案件でトラブルが発生し、お客さんが大激怒しました。尋常じゃないくらい怒られました。詳しくは、ここで書くことはできませんが、正直ちょっと、いやかなり理不尽でした。
働いてたら、誰しもこういう経験が少なからずあると思いますので、心中お察しください。笑

今すぐ、上司連れて謝罪しに来い!!!
こう言われてしまっては、一緒に行くしかありません。すぐ上司へ事情を話し、来いと言われていることを伝えました。
しかし、ぼくは嫌な予感がしていました。なぜなら当時の僕の上司は、事なかれ主義で責任逃れが大の得意技だったからです。
経緯を説明すると、案の定、

え?なんで俺も行かなきゃいけないの?
と、正直予想通りの回答でしたが、今までの蓄積された不満もあり、この時ぼくは、ひっそりと転職を決意しました。
結局、このやり取りを見かねた、ぼくの直属ではない別の上司が、一緒に謝りに行ってくれました。あの時、一切責任無いのに、一緒に謝りに行ってくれたKさん、本当にありがとうございました。
そんなことがあったせいで、合格発表のことなど、すっかり忘れていました。発表時刻もとうに過ぎた頃にホームページで確認しました。
受かってましたよ。
一か月くらいずっとそわそわしていて、本来なら、飛び跳ねたいくらい嬉しい気持ちになるはずだったのに、色々と台無しにされた気分で、何だか悲しくなりました。
おかげでこの合格発表の日のことは一生忘れることは無いでしょう。笑
そして、転職を決意し、活動を始めようかなーと思っていた矢先、数年前に公務員へ転職した大学時代の友人から、そこの役所で社会人採用枠で建築職を募集していることを教えてもらいました。
公務員に中途採用があることは知っていましたが、年齢制限に引っかかると思い、勝手にあきらめてていました。
しかし、応募資格をみたら、30歳を過ぎても応募資格がある自治体がかなり多いということに気づきました。

公務員か・・・定時で帰れそうだし、土日休みだよな。
親も安心しそうだし、合コンでもモテそうだよな・・・うーん

よし、公務員になったろ!!!
またしても、意識低い系の威力を発揮し、公務員になる試験勉強などロクにしないまま、採用試験を受けました。
結果、一般試験は、散々な結果でしたが、専門試験と面接に全力を注いだ結果、見事合格となり、公務員へ転身することとなりました。
公務員時代
ぼくが、転職した先の職場は、前の職場とは残業量が雲泥の差で、以前とは、比べ物にならないほど、自由な時間を過ごすことができました。
ぼくは、この時間を有効利用し、今まで勉強してこなかったお金の勉強を始めて、簿記3級とFP3級の資格も取りました。
もちろん公務員は公務員で、良いことばかりではありません。公務員ならではのつらいこと、嫌なことは沢山ありますが、それはまた別の記事で書いていきたいと思います。
現在は新しい働き方を求めて、正規職員を退職し、会計年度任用職員として勤務しております。いわゆる、パートタイマーです。
副業オーケーなので、こちらの収入が安定して大きくなってきたら、いずれは完全にFIREするつもりです。
人生まだまだやることいっぱいありますね。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんにちは。ふぐたくまおです。
「何だ?この フグの帽子を被った怪しいクマ は?」という疑問にお答えします。
ぼくは、関東生まれ関東育ちの元公務員です。
平成26年(2014年)に一級建築士に合格するも、その合格までに費やした費用は、約250万円!!
自分が合格してみてわかったこと、それは、「製図を独学で勉強するというのはほぼ不可能」ということ。
- できるだけ、安価で製図の勉強ができる環境を提供したい
- これから受験する学生や、卒業したての社会人に、自分のように無駄なお金を使わせたくない
そんな思いから、作図、エスキスの添削に特化した、オンラインサロンの運営を始める。
【今だけ限定】サロン立上げキャンペーンで5人まで、合格までの間永久会費無料!(終了後は有料になります)、詳しくはこちら。
ぼくが、なぜ資格の取得までに250万円を費やしたか、こちらで詳しく紹介してるので、よかったら見てやってくださいね。
プロフィール:新卒で建築会社に入社するも、周りに流され明確な意思がないまま、資格学校に入学。その後授業料だけ払い、勉強もせず学校も行かず無駄な日々を過ごす。一級建築士の取得までに掛かった総額は実に250万円以上!
合格してわかったことは、製図を独学で勉強するというのはほぼ不可能ということ。でも、学校は学費が掛かる。もっと安価で製図を教えてくれる人がいれば、自分のように時間とお金を掛けずとも一級建築士は取れるはず・・・
自分のような思いをする人を少しでも減らしたいという思いから、作図、エスキスの添削に特化した、オンラインサロンの運営を始める。
【今だけ限定】サロン立上げキャンペーンで5人まで、合格までの間永久会費無料!(終了後は有料になります)、詳しくはこちら。